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ブロガーとかアフィリエイターとかは嫌い

文化(デジゴト・デジモノ)

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何度か口にしてはいるのだけど、もう少し掘り下げて。 なお、これも繰り返しになるが念の為に言うと、 これは好悪の問題であって善悪の問題ではない。

私はブロガーとか、アフィリエイターと呼ばれる人たちがとても嫌いである。 あと言うと、SEO屋も嫌いである。

これは私の根源的信念に由来する。

基本的に属性として「ブロガー」と「アフィリエイター」と「SEO」は非常に近い。

そもそもブロガーと呼ばれる人たちは基本的には「ブログを書くことが主」である。 仕事はしていないか、していたとしてもあまり仕事をしていないことが多い。

理由は当たり前の話だが、仕事が忙しい人にとってはブログをそんなに書いている余裕はないからだ。 また、この優秀な人であれば例え仕事が激務でなかったとしてもやるべきことは山ほどあるので、やはりブログに多くの時間を割くことはできない。

私はかなり書いているほうだと思うのだけど、かなりきつい。書こうと思っていても時間が確保できないことはよくあるし、書く時間がなくて仕方なく4時とか5時まで起きていてブログを書いて仮眠して翌日仕事、みたいなスタイルだったりする。 私がブログに力を入れているのは、使命としての行動規範に基づくものなのだけど、セルフブランディングの意味合いもある。 もともとコネとかもないので、自身を証明する手段はそれを示してナンボでもあるのだ。 だが、そこまで強い理由があっても今のペースは限界である。

仕事をしていない人がブログをする理由というのは、主に収入のためであり、その方法というのはおおまかにふたつ。

ひとつはアフィリエイトである。 広告をつけることで広告収入を得ようというものだ。

もうひとつはいわゆるステマブログである。 クラウドワークスなんかを見ると大量に執筆の仕事がある。 (ちなみに、アルバイトでもしたほうがよっぽどマシな感じである)

また、ブロガーが仕事面その他で特筆すべき点がない可能性が高いというのは時間的制約以外にも理由がある。 ブロガーというのは基本的に自称するものであり、「ブロガー」を自称する以上は自己を表現するものとして第一にブログを執筆しているということを自称しているのだからそれ以上に自身について言うべきことがないということを暗に示しているのである。

例えば私はブログを書いていることはあくまでhackerとしての活動の副次的なものである。 知識があり、技術がある。世に溢れているものより、他の誰かが書くよりも、有益なものが書ける。 私が誰より優れているわけではないけれど、そうした人たちは発信に多くの力を割くことは難しい。 だから私のすべきこととしてしている。 だからChienomiについて自分を語るのであればブロガーではなくhackerになるわけだ。

そもそもブログを書くということは発信するということであり、発信するということはなにかについてなにかを述べることだ。 述べるにあたり誰にとっても既知のことであるならばその価値は成り立たない。 より知悉しているか、あるいは知悉するか(つまり、他の人はやらないこと、やるのが困難なことを実際にやることで実証するということだ)、それとも例え既知の内容であったとしても意義を持つほどに読み物としての魅力を持たせるかよりない。

それは必然的に「ブログが主足り得ない」ことを意味している。 自分が持ちうるものから出す以上、それ自体が価値を持ちうるのであり、ブログはメディアであることから手段側にある。 このことから「ブロガー」を自称している時点で空疎であることを窺わせるのだ。

そう、本質はそこである。 私は空疎な全てが嫌いだから、ブロガーが嫌い。

アフィリエイター嫌いは単に空疎であることにはとどまらない。 もちろん、一般的にがめつい――自分の利益に盲目的でなりふり構わない振舞い(スパムと同類の迷惑さ)によって一般的にも嫌われているのだが、私はちょっと理由が違う。 クラウドワークスなんかを見ればわかるが、こうしたブログ執筆はニートと非常に属性が近い。皆がそうというわけではないのだが、根本的に努力や労力を嫌うところ、楽をしたいと考えるとともに世の中を与しやすいものだと考えるところも属性としては近似している。

向上欲が溢れすぎて留まる処を知らない私としては、向上欲のない人が嫌いだ。 知識が欲しい、もっと理解したい、もっとできるようにしたい、今のままでは不十分だ、という気持ちがない人は少なくとも私とは合わない。

だから、ブロガーを含めてだけども技術や知識の蓄積を求めるのではなく、安易に利益だけが欲しいと考える人が嫌い。 やはり本質としては空疎であることなのだけど、「今空疎であること」ではなく、ここでは「空疎でありつづけたいと考えること、その状況を変えたいと思わないこと」を指している。もっとも、繰り返すが事実と指向の違いであってやはり空疎であることを嫌っている。

そしてそのような収益を上げるには訪問者を増やさなくてはいけない。 コンテンツを充実させていけば自然と訪問者はある程度増えるのだが1、結局そのような精神性で「手っ取り早く簡単に、より多くの訪問者を獲得したい」ということになり、そうなると内容の蓄積というのは難しい。本当に価値のある内容というのは量産しづらい。

結果としてどうするか? 内容はとにかく煽りに溢れたものになり、話題は誰もが知っているようなことになり、刺激的な内容を書くために精度は落ち、あるいはわざと反感を買うような虚偽を書きさえする。 そしてありふれた内容にすれば当然検索にかかるワードも競合しやすくなる。結局消費性のコンテンツを生成している以上、有益さの差などは出にくく、検索順位が利益に直結するため、どうしてもSEOに近くなるし、SEOを語りたがる。

属性が近いので、SEO関係の話題はどれも聞きかじりになっていて、内容は類似している。というよりも大部分コピペのようで文章自体の重複率が高い。 WordPress関連の話やレンタルサーバーの話なんかになるとSEOの話で埋め尽くされることになるため極めて不快度が高い。 知りたい技術的な内容などがSEOの成果によって埋もれるのだ。

そもそもSEOは人為的に検索順位を上げる方法なので、要は虚飾である。 内容に不釣り合いに検索順位を上げるということは、そうしていない内容あるサイトを埋もれさせるということになる。

別の言い方をすればS/N比を低下させることになるし、それが真であれば害悪である2。 実際、この時点で「欲しい情報が埋もれてたどり着けない」という害を発生しているわけであるし、たどり着けたとしても無駄な、膨大な時間を費やすことを強要されていることになり、かなり深刻な実害を被っている状態である。

実のところインターネット上のS/N比が著しく低下した、というのは事実である。 だが、その過程ではそれほど問題にならなかった。「NAVERまとめばっかり出てくる」「2ちゃんねるまとめばかり出てくる」という状況はあるにはあったが、各サービス(特にGoogle)にノイズフィルターがあったため、それほど深刻な問題には感じられなかったのだ。

ところが、現在Googleはユーザーの検索を尊重しない。 検索ワードを工夫したところで提示されるページはあまり変わらず、ユーザーにとっての検索性を剥奪し、「Googleが見せたいページを見せる」状態となっている。これは、Facebook(これはもともとノイズフィルターなどなかったが)やTwitterなどでも同様の傾向だ。

結果として、SEOによって押し上げられた「無価値なお勧めのコンテンツ」や、無内容のブログの実害は著しく向上している。 だが、例え実害がなかったとしても、やっぱり私は虚飾と空疎を理由に、SEOは好かない。

結局のところ、「空疎」や「虚飾」という本質が共通するが故にそれらが近いところに住まうのだろう。 だから、私にとっては忌み嫌うものなのだ。


  1. ChienomiのデイリーPVはだいたい3000から35000くらいである。 リピート率はあまり高くなく、古い記事でも幅広く読まれている。↩︎

  2. 意図的にS/N比を下げる振舞いをするのはインターネットにおいては古からのご法度である。↩︎